8月まで個人的に忙しい日々を過ごしていたのだが、9月になっても相変わらず忙しい。きっと来月も忙しくて、来年もまた忙しいはずだ。「この先の人生一生忙しくするぞ」なんて、あてどない決意を抱いていたりする。逆説的な表現になってしまうけれど、忙しい方が結果的に楽なのだ。なぜかというと、僕の人生で一番辛かった時期は、やるべきことが何もなかった時で、仕事もせず、目標もなく、お金もない。毎日が休みだけど、精神的、金銭的な自由もない。それは休みとはいえず、ただ何もない現実に身を置いているだけ。何もしていないのにお腹は空いて「なぜ何もないのに本能だけはなくならないんだ」と生きていることにさえ嫌悪感を覚えたものだ。そんな時、何かにすがりたくて仏像フィギュアのガチャガチャをやった。出てきた不動明王を眺めながら。「不動明王はこんな僕みたいなダメ人間に怒っているのだろうな」なんて考えながら「そんなに怒った顔しても、この世界は僕には合わないんだよ」そんなことを思っていた。

                                                      

 その後、そんな自分を変えたくて、意識的にいろいろな場所に足をのばし、様々な経験をするように心がけた。すると、今まで見えていなかったことが見えてきた。特に海外へ行くと感じることだが、日本以外の国はたとえ先進国でも、「何もない人」が多い。子供が車の窓を叩いて食べ物をねだったり、偽物のミッキーマウスが強引に写真を撮りに来てチップを要求してきたり、値段を聞かずにソフトクリームを買ったら法外な値段を請求されたり、歩いていたらいちゃもんつけられて、数人に囲まれてお金を取られたこともあった。そんな世界の現状を見て、初めて自分が恵まれた場所にいることに気が付いた。僕は普通の日本人として生まれた時点で、既に沢山のものを与えられていた。「この世界は僕には合わない」なんて思ったのは、世界を知らなかっただけで、知らなかったから、幸せな場所にいることに気づけなかった。既に自由が与えられていて自分次第でどうにでもできる場所だった。「それならとことんやってやる。今度は与える側になろう」そんなことをモチベーションにしながら、自らを忙しくさせているうちに、気が付けば、疲れ切った身体で、「こっちの方がいい」なんて変態的な思考を抱く人間になっていた。

                                                     

 過去の自分を思い出しながら、知らない世界を見て価値観が変わることが楽しみで生きている自分がいる。机の上に置かれた不動明王も、今では、僕のとめどなく湧き続ける欲望に怒っているのだろう。煩悩がありすぎて、きっと一生悟りは開けないだろうけど、それでも理想を追いかけて、この稼業と目標を抱えて進んでいこうと思う。

                                                    

 9月もそろそろ終わり、今年もあと3カ月。長月とはいえど、さほど夜は長くない。さて、明日なにをしよう。(S.D)